ジャッキー・イクス、1977年ル・マンでのポルシェ936奇跡の逆転劇

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1977年のル・マン24時間レースは、ポルシェにとって苦難の幕開けとなった。ワークス体制で投入した3台のうち、2台が序盤でリタイア。唯一残された936-001も燃料ポンプのトラブルで9周の遅れを取り、41位まで転落した。だが、この逆境が“伝説”を生むことになる。

この時、ポルシェは大胆な決断を下す。前年の勝者ジャッキー・イクスを936-001に乗せ、起死回生の一手を打つ。既に22,000km以上を走行し、耐久テストも完了していたこの個体にすべてを託したのである。

午後8時半過ぎ、32歳のイクスがステアリングを握り、猛追が始まる。得意とするハイスピード走行でトリプルスティントをこなし、ラップレコードを更新し続ける。その最速ラップは3分36秒50。これはそれまでの記録を3.1秒も上回る驚異的なタイムだった。

夜明けには雨が降り始めるが、集中力は切れない。ドライバー交代後もチームは完璧な走りを続け、日曜午前9時半には首位へ浮上。その時点で19周のリードを築いていた。

だが、ドラマは終わらない。午後3時14分、残りわずか46分でピストンが破損。エンジンは5気筒のみでの走行を強いられる。規定では最終ラップを走行してフィニッシュしなければ勝利は認められない。ポルシェのメカニックたちは即座に該当シリンダーの燃料と点火を遮断し、車両を完走仕様に仕立てる。

そして午後3時50分。936-001はピットを静かに離れ、バースの慎重な運転によって2周を走り切る。これはポルシェのル・マン史上、最も長い2周となった。

レース後、イクスは語る。「あれほど長時間、あれほど高い集中力を維持できたのは初めてだった。まさに奇跡の勝利。チーム全員の偉業だった」。

この勝利により、ジャッキー・イクスは自身4度目のル・マン優勝を果たし、ポルシェは“決して諦めないブランド”としての地位を決定づけた。