Courtesy RM Sotheby’s
1991年F1世界選手権とセナの輝かしい栄光
1991年のF1世界選手権は、アイルトン・セナがキャリア最後となる3度目のドライバーズタイトルを獲得した歴史的シーズンである。全16戦で7勝を挙げ、ウィリアムズに復帰したナイジェル・マンセルを大きく引き離し、アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ニキ・ラウダらと肩を並べる偉大な記録を打ち立てた。
この年、セナはホンダ傘下のヘルメットブランド「Rheos(レオス)」を使用した最後のシーズンでもあった。1992年と1993年にはShoeiへ、晩年にはBellへと戻ったため、セナが実際にレースで使用したRheos製ヘルメットは極めて数が限られている。
Rheosヘルメットの希少性と特別製作の背景
Rheosは日本国内向けのオートバイ用ヘルメットブランドとして知られていたが、ホンダがセナとゲルハルト・ベルガーのために特別に製作したプロトタイプが1991年仕様のヘルメットである。
その構造やシェル、ベンチレーション、バイザーは1990年仕様とは大きく異なり、重量は1.3kgとBell製より大幅に軽量化されていた。量産を目的とせず、極めて少数のみが制作されたことで、今日においても特別な存在となっている。
4つのグランプリで使用された“R8”ヘルメット
今回紹介する個体は、Rheosの技術者により外部表記「R8」として識別された一本で、1991年の以下4つのグランプリでセナが使用したと確認されている。
- ベルギーGP(スパ・フランコルシャン) — 決勝レースでポール・トゥ・ウィン
- イタリアGP(モンツァ) — 主にプラクティスで使用
- ポルトガルGP(エストリル) — プラクティスおよび決勝で使用、2位表彰台
- 日本GP(鈴鹿) — プラクティスで使用。決勝では別のR7ヘルメットを着用しセナが3度目の王座を獲得
特にベルギーGPでの勝利は、セナがプロストの追撃を抑え込み、王者としての存在感を示した象徴的な瞬間である。
サイン入り、歴史を物語るコンディション
日本GP後、セナはヘルメット左後方にサインを残し、チームメイトのゲルハルト・ベルガーへ贈ったと伝えられている。このため、最終戦オーストラリアGPでの使用はなかった。
今回紹介するヘルメットは約15年前に現オーナーが取得したもので、当時の使用痕を残しながらも非常に良好な保存状態で維持されている。ヘルメットの履歴はヘルメットデザイナー兼歴史家であるマイク・フェアホルム氏の詳細なレポートによって裏付けられている。
希少価値の絶頂にある“レース使用品”
アイルトン・セナがレースで実際に着用し、タイトル獲得の重要な局面を共にしたヘルメットは、自動車史・モータースポーツ史の中でも極めて価値が高い。1991年仕様Rheosはその生産数、背景、そしてセナ自身のキャリアにおける象徴性から、コレクションの中核を成し得る特別なアイテムである。








